光明 第204号『孤独と孤立』文:名取芳彦 より抜粋引用

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いつまでも子どもでいたいと願うネバーランドの住人「ピーターパン」は、自分の影を持て余しています。勝手にどこかへ行かないように、自分の影をウェンディという女の子に縫い付けてもらう場面があります。

私はこの場面から、「影を伴侶にして暮らす」という独り暮らしを表す言葉を思い出します。この言葉は、”独り暮らしでも自分の影が一緒だから大丈夫”という意味もあれば、”寂しさの極み”の表現にも使われます。

孤独はいい

一人静かな時間を過ごすことで、自分の命の中にある幾万、幾億の命のつながりや、社会の含む他から膨大な”おかげ”の中で生きていることをしみじみと感じることができます。独り暮らしは、このような貴重な時間の宝庫と言えるかもしれません。

「どうせ」は孤立の前兆

一方、孤立は自他のつながりが切れた状態で、孤独とは違います。孤立をなくそうと自治体はさまざまな取り組みを行っていますが、「どうせ」が口癖の孤立予備軍の人ほど参加してくれないとのことです。

器量と度胸を見せる

「どうせ、そんな所に行ったって」と敬遠するなら、「どうれ、ひとつ、皆を楽しませてやろうか」と大人の器量を見せるか、「自分がその場にどれだけ対応できるか、自分の器の大きさを計ってみようか」と度胸試しのつもりで参加してみてはいかがでしょうか。