真言宗豊山派季刊誌「光明 第227号」より引用

仏さまには、それぞれ縁日があります。ご利益がとりわけ顕著な日とされ、8日のお薬師さま、18日の観音さま、24日のお地蔵さま、28日のお不動さまが有名です。

お祖師さまにも縁日はあります。真言宗を開いたお大師さまの縁日は21日です。この日、京都の東寺には弘法市が立ち、多くの露店が軒を連ねます。真言宗の寺院では、御影供と呼ばれる法要も行われます。弘法大師空海は、承和2年(835)3月21日に、高野山で入定しました。お大師さまの縁日が21日なのは、入定の日に由来するのです。

仏さまやお祖師さまを描いた絵画や、お姿を彫った像を御影(みえい)といいます。お大師さまの御影を仰ぎ、報恩と感謝の真心をこめて供養するのが御影供です。延喜10年(910)3月21日、大師の尊像を前に、東寺の灌頂院(かんじょういん)で法要が行われました。それが御影供のはじまりです。

お大師さまの御影は、右手で、智慧を象徴する五股杵(ごこしょ)という仏具を握ります。ちょうど胸の前に五股杵があるのは、誰の心のうちにも仏の智慧がそなわっていることを表しているのです。
左手は、慈悲を象徴する念珠を持ちます。その姿は、すべての人の幸福を祈って、それを実際の行動に移すことの大切さを表しているのです。

こうした御影を最初に描いたのは、真如(しんにょ:799~865)でした。真如は、平城天皇の皇子で、弘法大師の十大弟子のひとりです。真如による御影は、後世、最も流布したことから、根本御影と称されます。

室町時代や江戸時代になると、大師の御影には、「日日影向文(にちにちようごうもん)」と呼ばれる画賛(がさん:絵の余白に書く文)が添えられました。意味は次のとおりです。
「入定した大師は、体を高野山に置きながら、こころは兜率天(とそつてん)の弥勒(みろく)菩薩のもとにあり、衆生を救うため、日々この世に現れて、ゆかりの深い地を訪れている」

お大師さまは 常に自らの智慧を磨き、それを活して人々の救済に励みました。生涯に渡って貫いたその気高い精神から生まれたのが、御影のお姿にこめられた特別の意味であり、御影に添えられることとなった日日影向文なのです。